爆裂ファーストウーマン
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「自殺」について。

今回のテーマは「自殺」についてです。

現在、年間の自殺者の数が3万4千人を超えているのをご存知ですか?

自殺者の多くは中高年の男性だそうです。

なぜ中高年の男性に自殺者が多いかと言うと、戦後の高度経済成長期を支え物質的な価値を重要視した世代であるがために、自分自身をも物質的にとらえてしまっている人が多く、何かのきっかけで自分の物質的価値が下がっていると思ってしまうと、生きていくことができなくなってしまう世代だからだそうです。

しかしもっと怖いのが、私達の子供の世代です。

私達の子供の世代は物があってあたりまえで、本当の愛ではなくお金や物を多く与えられて育っているので、自分自身の心も体も物としてとらえている子供が大半のようです。

売春をしてお金を得ることにも抵抗はなく、「減るものじゃないし!」と平気で言ってしまうのです。

また、ゲーム感覚で命をとらえているため、リセットできると勘違いしている子供も多いようです。

自分の心と体を物と思い、命はリセットできると思っている子供たちだから、自殺にも結びついてしまうのだと思います。

インターネットでは集団自殺のサイトがあり、一人では淋しいけれど何人かで行えばOK。

そして、自分の命だけではなく他人の命をも物的にとらえ、気に入らなければ消してしまう。

たとえそれが親や兄弟や友人であろうが関係ない・・・。

本当に恐ろしい時代がやって来たなという感じです。

では、こんな恐ろしい時代をどうやって生き抜いていくかということになると思うのですが。

やはりそれには「真実の愛」しかないのではないでしょうか!

昨日、私の会社の26歳の男性社員に「愛」の話をしたのですが、「愛」が分からないと言いました。

もちろん今までに改めて「愛」の定義など学んだ経験もなく、「愛」とは何かを考えたこともないようなので、あたりまえの回答だと思います。

そこで私が答えたのは、「人に何かをしてあげても何も見返りを期待しないこと」でした。

もちろん「愛」の答えはそんなに簡単なものではないのですが、現在の彼にはこの答えが一番的確だと思い答えました。

「人に何かをしてあげても何も見返りを期待しないこと」これは子育てにおいてもとても重要なポイントだと思います。

私たち親が子供に与えなければならないのは「無償の愛」であり、「打算的な愛」や「計算された愛」ではないということです。

子供のためと言いながらも自分の満足のためであったり、見栄や体裁を取り繕うためだったりしていることが多いのではないでしょうか?

最近のテレビ番組では引きこもりやリストカットを繰り返す子供たちを取り上げているものが多くありますが、その子供たちが言うことはみな同じです。

「親がかまってくれない。自分の話を聞いてくれない。」

子供と心から向き合っていない親が多いのではないでしょうか?

私にとっては子供と話すことはとても楽しいことですし、一緒に大声で歌って踊ることもよくあります。

娘のお笑いの師匠は私なのですが、保育園の先生からの評判もなかなかのものですよ(笑)

せっかくこの世に生まれてきて子供を授かり、どんなに頑張っても一度の人生なのですから、子供と共に楽しく生き抜きたいですよね。

私はいつもそう思って生きています。


中部電力のコミュファ・アクセスコミュファ

今日は思いっきり、私の会社の宣伝をさせてもらっちゃいます。

私は渋谷で、テレホンマーケティングの会社を経営しています。

その会社は、株式会社レニエント といいます。

現在は電話でブロードバンド回線の販売をしているのですが、この6月より中部電力のコミュファの販売を開始しました。

コミュファの魅力は、

1.速

2.安い

です。

光ファイバーでプロバイダー料金込みの料金が、5000円を切ったのは画期的なことです。

名古屋市にお住まいの方はぜひお試し下さい。

キャンペーンサイトftthnet.jp

http://ftthnet.jp/

「子育て」と「個育て」

「子育て」と「個育て」

先日いただいたコメントの中に、

【以前、レストランなどで暴れている子供を放置していた親が、他の人に注意された際「これがこの子の個性なのよ!」と逆切れしたという話を聞きかなりあきれてしまいました。】

とあったのですが、私は子供の個性を伸ばすと言うことと社会のルールを守らせると言うことは同時進行で行わなければならないと思っています。

最近は個性がなく画一化された者や物が多く、個性的に育てると言うことはとても大切なことだと思います。

私が尊敬する方が、自分の息子さんのお話をしてくれたことがあるのですが、その息子さんはとても個性的で小さい時は言葉が上手にしゃべれなくて、そのもどかしさからよく暴れていたそうです。

とてもやんちゃで困ったそうなのですが、それをどの様にして克服したかと言うと、学校を休ませていろんなとこらに連れて行ったそうです。

時には映画を見たり、花やしきで射的をしたりと通常の親では考えられないようなことをしたそうです。

その息子さんは、好奇心が強くエネルギーが有り余るほどの子だったので、規制の枠にはめることは無理だと判断し、個性を伸ばすことをしたそうです。

もちろん他人に迷惑をかけるようなことはしないのですが、学校に行かない分成績は優秀とはいかなかったようです。

その息子さんも今は40歳を過ぎ、会社の社長をしています。

社員からはとても尊敬され信頼されています。

自分の会社以外の人でも困っていれば助けてあげるし、相談にも乗っています。

やはり今でも個性的であり人を引き付けるオーラは感じますが、子供のころのやんちゃな面影はなく逆に穏やかな印象を受けます。

このお話がとても良い例だと思うのですが、いち早く子供の性格や特徴をつかみ、その中の良い部分を引き出してあげることが親としての役割ではないかと思います。

私と娘はとてもよく似た性格なのですが、「自由奔放・信念を持ってわが道を突き進む」といった感じです。

なので時々、「これはわがまま?それとも個性?」と思うことがあります。

それは自分自身のことであったり娘のことであったりするのですが、私自身が判断できない時があります。

そんな時は、人様に迷惑をかけているかいないかで判断するようにしています。

どんなに個性だと主張しても、それが人様に迷惑をかけるようなことであれば、それは個性ではなくただの自己中としか見てもらえないと思います。

確かに、社会の中で活躍いている人はかなり個性的な人が多いと思いますが、社会からはみ出してしまうような人はあまりいないと思います。

この微妙な違いが難しい所なのですが、「子育て」は「個育て」でありたいと思っています。

21世紀を担っているのは私たちの子供たちであり、心身ともに豊であって欲しいと願っています。

※次回は中部電力のコミュファ の紹介をさせていただきたいと思います。

名古屋市限定になりますがよろしくお願いします。

「しつけ」

今回は「しつけ」についてです。

「しつけ」って、とても難しいと思いませんか?

私のカウンセラーとしての見方ですと、かなり厳しくしつけられて成長した子は反動で反社会的になるか、萎縮してしまい自分の意思が弱いかのどちらかになってしまう傾向があると感じられます。

最近の親はしつけができないと言われていますが、最近とはどの年代を指して言うのでしょうか?

うちの娘の保育園の同級生の親は、上は40歳~下は26歳までいます。

職業もさまざまですが、確かに年代によって価値観はかなり違うように思われます。

なぜならば、この年代(3~4才)の子供は、親の価値観や行動がそっくりそのまま反映されているので、子供たちの言動や行動を見ているとその家庭の様子が手に取るように分かるからです。

話は少しそれますが、最近赤ちゃんを布で包んで首からぶら下げている若いお母さんを良く見かけると思いませんか?

アフリカの原住民が子供を連れ歩く時に見かける光景とよく似ているのですが、あれは流行なのでしょうか?

私は中にいる赤ちゃんの姿勢が悪いことがとても気になります。

まだ骨や骨格自体が安定してない赤ちゃんに、不自然な姿勢をさせることは良くないと思います。

アフリカのように物がない国であるのならば仕方がありませんが、日本のように何でも手に入る国で出産しているのに、なぜあのような布を使うのでしょうか?

それが答えのような気がします。

子供の心身の健康より、自分のファッションや気分のほうが大切な親が増えているということです。

しつけは将来子供が成長し、社会に適応できるように基礎的なルールを教育することだと思います。

しかし、しつけができない親の大半は、子供が自分の意に沿わなかったり自分が他人から悪く思われないためだけに子供をしかっていると思います。

私も感情的にしかることもありますが、他人から悪く思われないためにしかったことは一度もありません。

他人に迷惑をかけてはいけないと言うことは常々言って聞かせています。

しかし、うちの娘は気が強く一度言い出したら誰が説得しても聞かない子なので、人ごみで大声で泣き喚くこともしばしばです。

そんな時、私は泣こうが叫ぼうが悪いことは悪いとしっかりしかりますし、いくら駄々をこねても全て自分の思う通りにはならないということを言います。

時々、そんな私たち親子を見て「うるさいなー。ちゃんとしつけしろ!」と言いながら通り過ぎていく人がいます。

決まって年配の男性です。

一番子育てをしていない人種だと思います。

しつけとは何かの根本が理解できないのでしょう。

仕事を理由に子育てを奥さん任せにした世代ですから、子育てと言うこと自体分かってないのではないでしょうか。

そんな親世代に育てられた子供が現在子育てをしていると思うと、なぜか納得してしまいます。

今朝もかかりつけの病院で、布に包まれた赤ちゃんを見ました。

なぜか悲しい気持ちになってしまいました。

逆に背中に下の子供(推定2歳)をおんぶして、上の子を抱いて病院に来ているお母さんを見て、とても勇気が湧いてきました。

これぞお母さんって感じでした。

人の生き方は様々なのでこれが悪いとは言えないのでしょうが、心は素直に感じてしまいました。

皆様はどう感じられますか?

「夫婦って何なんだろう?」

今回は「夫婦って何なんだろう?」がテーマです。

二子山親方 の葬儀の様子がワードショー等で放映されていましたが、その中で元夫人の憲子さんのインタビューに見入ってしまいました。

31年間連れ添った元夫へ感謝の気持ちとお別れの言葉をかけたそうです。

4年前の離婚発表の時は驚きましたが、何が原因だったのかは未だになぞのままですね。

50歳を過ぎてから離婚し、その4年後に癌で亡くなってしまった二子山親方の晩年は幸せだったのでしょうか?

私はこの一件で、「夫婦のあり方」を考えさせられました。

私自身一度の離婚を経験していますが、現在は元夫と全く連絡は取っていません。

二人の間に子供がいないこともあると思いますが、今では一緒にいた日々も遠い思い出になっています。

いったい夫婦とは何なのでしょうか?

子供がいれば子供の両親?

いなければ「夫婦」と「籍の入っていないカップル」との違いは何なのでしょうか?

私の場合、現在の夫(籍が入ってないので夫とは言わない?)とは籍が入ってないので法律上では夫婦ではありません。

でも子供もいるし一緒に暮らしています。

私には婚姻届というものの価値がよく分かりません。

諸外国には婚姻制度にこだわらない国もたくさんあり、国も認めているのですが、なぜ日本はこんなに遅れているのでしょうか?

夫婦別性も実現しないままになっていますし、離婚後の養育費の件もやっと動き出したような状態です。

決してシングルマザーを奨励している訳ではありませんが、一人の人間の生き方の選択肢として、シングルマザーや籍を入れない夫婦と言うものがあってもいいように思います。

憲子さんのインタビューを一緒に見ていた夫がボソッと言った一言「死んでしまってから元夫のありがたさが分かったんちゃうか。この女性。」

そうなんです。私もそう感じたんです。

そこで私は「夫婦って何なんだろう?」と思ってしまったのです。

結婚する時は愛していると言い、何年か経つと無関心になったり、ひどい場合にはお互いの悪口を言い合うようになる・・・・・。

時が経つと共に人の心は変わって行くことは理解できますが、なぜか空しさを感じてしまいます。

人間ってそんなものなのですかね?

子供に対する愛は永遠に変わらないと思うのですが・・・・・。

皆様方はどう思われますか?

ぜひ沢山の方のお考えをお聞かせ下さい。

私の教訓

ご無沙汰してしまいました。

今月に入って始めての更新になってしまいました。

前回で娘が膀胱炎になってしまったお話をしましたが、その後におたふく風邪にかかってしまい先週までお休みをしていました。

また、運悪く私自身も持病の腰痛が悪化し、生活のリズムが崩れてしまいました。

今週からやっと通常の生活にもどり、仕事も復帰しました。

この間、結構気になるニュースがあったのですが、その中でも特に気になったニュースは「女子高生拉致監禁事件」です。

娘を持つ母としては、とても恐ろしいニュースでした。

しかし、もっと恐ろしく感じたことは、犯人の生い立ちでした。

地方のお金持ちの家に生まれ、母親に溺愛され育ったと報道されていましたよね。

その母親が亡くなり、父親との確執が深まり、絶縁状態とも報じられていました。

その中で私が気になったことは、「なぜ父親を嫌うようになったか」ということです。

父親と言う人はお金持ちと言うこともあり、かなり女癖が悪かったと報じている所もありました。

私の憶測なのですが、母親が女癖の悪い父親の悪口を一人息子に愚痴っていたのではないかと思います。

家庭内において子供にとっての母親と言う存在は、自分自身を維持していく全てだと思います。

なぜならば、通常の家庭であれば子供が一番接する時間が長いのが母親であり、母親から多くのことを学び感じ成長していくものだと思います。

もちろん常識などと言うことを理解できるわけもなく、母親が言うことが全て正しいと思って当然だと思います。

その母親からいかに父親がダメな父親かを毎日聞かされたとしたら、子供は父親に対してどう思うか想像しただけでもゾッとしますよね。

夫に相手にされなくなった淋しさを、子供を溺愛することで解消していたと言う所ではないでしょうか。

私の子育ての教訓の一つとして、「絶対にパパちゃんの悪口を娘に言わなdい!」というのがあります。

もちろん喧嘩もしますし頭にくることも多々ありますが、子供にとって両親の仲が良いということは非常に重要な要素だと思います。

愛し合っている両親から一番愛されているのが自分であると言う安心感が自信に変わり、社会の中での困難や苦労を乗り越えるための原動力になるのではないでしょうか。

小さいころは「何かあっても両親が守ってくれる。」

この思いが子供の心を豊かにし、人に対する思いやりの心が生まれるのだと思います。

この事件の犯人は、母親が亡くなってから特に生活が荒れていたようですので、唯一自分を愛してくれていると信じていた母の存在を無くし、母の代わりに自分を愛し守ってくれる人を捜し求めていたのだと思います。

人の愛し方を知らない男性に、長く連れ添う人はそうはいないでしょうから、拉致監禁という恐ろしい手段を選んだのでしょう。

彼自身が彼の両親の被害者と言えるのかもしれませんね。

私たちのように現在進行形で子育てをしている者として、教訓にしたい事件だと思います。

社会問題 ~コミュニティーの提案~

昨夜から娘が膀胱炎にかかってしまいました。

原因は不明なのですが、風邪とトイレを我慢したことが複合して起きたのかもしれません。

数日前からトイレに行っては、「パンツが少し濡れてるから履き替える」と言っては履き替えていたので気にはなっていたのですが・・・。

こんな小さな子でも膀胱炎になってしまうのですね。

女性なら一度は罹ったことはあると思いますが、なんともいえない不快感がありますよね。

母としては何とかしてあげたいけれど、何ともしようがないじれんまです。

明日からゴールデンウィークに入るので、楽しい休日を過ごすためにも早く良くなって欲しいと願うばかりです。

ところで、先日のJR福知山線の事故 についてですが、たまたま見たニュースで、娘さんがこの事故で亡くなったお父さんの取材がされていました。

娘さんの小さい時から現在に至るまでの写真が何枚か映し出されていました。

自分の娘が朝家を出て、そのまま帰ってこないなんて・・・。

父親としてはどんな心境なんでしょうねぇ。

我が家は一人っ子で、これから先も一人っ子の予定なので、娘がいなくなるなんて考えられないです。

でも、我が家の娘もいつかは親離れして、巣立っていくことになるのでしょうが・・・。

私の会社に中学3年生の娘がいる女性がいるのですが、彼女の娘は自分で決断し自分で探して、公立の中学校から私立の中学校に編入しました。

その間の母親としての彼女の苦悩は、傍で見ていても大変そうでした。

でも、これが親離れと言うより子離れなのかなぁと思うのですが、最近は早く親離れするか、まったく親離れしないかのどちらか極端に偏っているように思われます。

「ニート」と呼ばれる理解不能な若者を作ったのは、子離れできない親だと思います。

今や「ニート 」は社会問題になっていて、少子化が進む日本において、成人しても職につかない若者が増えると言うことは、労働力が減ると言うことになり、経済力が落ちると言うことになってしまうのです。

これは、「ひきこもり」とも関連しているようで、原因の根は思ったより深い所にあるのかもしれません。

では、私たち子育て中の親は何をすればよいのか?

私たち親自身が、もっと外に出て、いろんな人や所や物に関わって行かなければならないのではないかと思います。

何か問題を抱えていて、それを解決できないでいる家庭の多くは、外との接触が極端に少ないと思います。

そんな環境を変えられるような、コミュニティーを作れたらよいと思いませんか?

皆さんはどの様に思われますか?

よかったらご意見をお聞かせ下さい。

ボーイフレンド

今日は朝からちょっとおもしろい出来事がありました。

私の娘は生後9ヶ月から保育園に通っていて、現在4年目に突入しました。

入園当時からの同級生が9人いて、毎年数人の子供たちが入園してきていました。

先日、連絡帳におもしろいことが書かれていました。

なんと娘に恋の気配が・・・。

今年入園してきた「はるきくん」という男の子となにやら仲良くしている様子で、担任の先生いわく、はるきくんは今までの同級生にいないタイプだそうです。

女の子にも人気はあるようですが、まだまだ赤ちゃんが抜け切れない3歳児ですから、男の子と意識しているのかどうかは疑問ですが・・・。

早速、今朝はるきくんを確認したのですが、「さすが我が娘。」って感じの、いけてる男の子でした。

確かに、先生の言う通り、今までにはいない細身で背が高く、顔も小さくて爽やかな感じがしました。

するとはるきくんは、私が娘に行ってきますのチューをしている所に来て、「〇〇ちゃん。今日一緒にご飯食べようね!」っと誘ってきました。

娘は「いいよ!」と軽く答えていましたが、母はもっともったいぶったらいいのにと心の中でつぶやいていました。

その光景を見ていた先生が、「他にもはるきくんのことが好きな子がいるんですよ!」と教えてくれました。

しかし、私の親バカな判断からすると、はるきくんはうちの娘のほうに気がありますね。

もしかすると、娘がはるきくんを好きなのではなく、はるきくんが娘を好きなのかも?と思ってしまいました。

なぜならば、娘が世界一好きな男の子は「パパちゃん」だからです。

昨日もパパちゃんに行ってらっしゃいのチューをした後に、「パパは〇〇ちゃんのパパだからね!ママのパパじゃないからね!」と言っていて、私とパパちゃんが行ってらっしゃいのチューをしたら大泣きになってしまって大変なことになってしまったのでした。

パパちゃんは大喜びでしたが・・・。

どちらにしても、娘にボーイフレンドができるなんて、とても楽しみな話題なので、今後の二人を見守っていこうかなぁなんて思ってます。

 

「情熱」

今回は「情熱」についてです。

先日、車中で見ていた番組がピンクレディー の復活をドキュメンタリーで追っているものでした。

私はまさしくピンクレディー世代で、その番組で流れていた歌のほとんどはスラスラと歌えてしまいました。

でも、当時の私はピンクレディーのファンではありませんでした。

そんな私が25年以上経った今でも歌えてしまうほどのインパクトはすごいですよね!

そして、私が何にこんなに感動したかと言いますと、ピンクレディーが48歳になった今でも、当時と変わらずに歌って踊っていることです。

それどころか、当時にはなかった信念のようなポリシーとでも言うのか、一本筋の通ったようなとても強い情熱とオーラを感じてしまいました。

しかし、さすがに昼夜2回の公演は肉体的にはハードなようでしたが、そこを精神力でカバーしているようでした。

当時は何の興味も待たなかった私ですが、今のピンクレディーはとても興味深く、二人のエネルギーに引き込まれてしまいました。

自分で言うのも変ですが、私は自他共に認めるエネルギーの塊のような生き物です。

こんな私なので、私よりも情熱的で魅力的でなければ興味を持って引き込まれてしまうということはありえないのです。

本当に復活したピンクレディーは素敵で、とてもパワフルでした。

ところで、私は17日に大阪で「起業」というテーマで講演を行ったのですが、ここでも今回のテーマ「情熱」が大きく関与しているのです。

この講演会に参加された方々の大半は、独立や起業に興味がある方々でしたので、講演会は大いに盛り上がりました。

私は始めに自分の社会に出てからの経歴と、起業までのプロセスを話しました。

私はもともと独立心が強く、何の分野で独立するかは決まっていませんでしたが、必ず独立することを心に固く決めていたことをお話しました。

一番大切なことは、「目標」を持つことで、「目標」を立てたら次は「行動」に移すことです。

そしてここでもう一つ大切なことは、そこに「計画」を立てることです。

計画とは何ぞや?

計画とは過去の経験から生じる「智恵」であり、「経験」に基づかない「計画」は単なる机上の空論と言えるのです。

人は「経験」なくして成長はありえません。

人生において「失敗」というものはありえないのです。

私達が常々「失敗」と思ってしまうことも、全て成長に必要な「経験」であり、その「経験」の結果を次のチャレンジに「失敗」しないように役立てることが「智恵」となる訳です。

更に、この仕組みに絶対的に必要なことが「情熱」なのです。

世の中の各ジャンルで活躍されている方で、情熱的でない方を見たことがありますか?

「情熱」を表に出すか出さないかの違いはあっても、皆さん輝いていて強いエネルギーや大きなオーラを感じると思います。

「目標」を達成できるかできないかの明暗は、この「情熱」を持ち続けられるかどうかによると思います。

では、この「情熱」を持続させるにはどうしたらよいか?

たくさん「感動」することです。

「感動」するためには、「行動」「経験」するしかないのです。

結局、何事にも怖がらずおっくうがらずにチャレンジすることが大事ということです。

このスパイラルにはまってしまえば、成功は近づくと思います。

皆様も「情熱」を持って生きていきましょうね!

私もさらにパワーアップできるように、日々精進してゆきたいと思います。

ピンチはチャンス!~感謝の気持ちを大切に~

今回は病気についてです。

ある朝番組で「化学物質過敏症」の特集をしていました。

「化学物質過敏症」とは、新建材やインクやその他の物に含まれる化学物質に反応しアレルギー症状を起こしてしまうようです。

その番組では、小学生の男の子がこの病に侵されてしまい、小学校に通えなくなってしまい、日常生活にも支障をきたすようになっていました。

築20年の新建材が使用されていない家に引越し、常にマスクをしている常態のようでした。

学校で使用する教科書のインクの臭いで頭が痛くなるので、お母さんが1ページ毎に天日に干し、インクの臭いを飛ばしていました。

その子は新学期の始業式に出席したいとチャレンジしました。

登校途中の道にまかれている除草剤に反応してしまうので、お母さんに車で送ってもらったのですが、校庭に到着した時には、お母さんに抱きかかえながらフラフラと歩ける程度でした。

その時お母さんが「やっぱり無理です。やっぱりダメです。」と言っている姿を見て、私は涙が止まりませんでした。

今こうして原稿を書いていても、その光景を思い出して涙が出そうになってしましました。

なぜなら、私も子を持つ母親であり、その男の子を我が娘に置き換えてみると、自分の子供がこんな状態になってしまったらと思い、とても辛くなってしまいました。

このお母さんの気持ちを考えると、とても他人事とは思えませんでした。

幸いにも我が娘は五体満足に生まれ、大きな病気もせずに今まで過ごしてきましたが、これから先は何が起こるか分かりませんよね。

病気の原因にはいくつかの種類があるそうです。

もともと生まれる前に、より崇高な魂へと向上するための課題として病気や身体的欠陥を、自らが選んで生まれ出てくるものと、生まれたときは元気でもその後の人生において、不平不満ばかりを思っていたり、他人を妬んだりと悪しき心で生きている人は、自らの悪しき思いで病気になってしまうそうです。

また、病気になることはチャンスとも言われています。

今まで、傲慢で謙虚さのかけらもないような人生を送ってきた人が、自分が病気になり、人様のお世話にならなければ生きていけないことに気付き、感謝の気持ちを持ったときに、その人は幸せを感じることができるからです。

決して病気は忌み嫌うものではなく、病気と仲良く付き合うことが大事だと思います。

私の母も決して直らない病気にかかっていますが、病気との付き合い方があまりうまくないように思われます。

母は良く働き、とてもバイタリティー溢れる女性なのですが、一言でいうと感謝が足りない傲慢な人のようです。

私は母の病気は、母に与えてくれた大きなチャンスと捕らえているのですが、母は全然分かてないようです。

「なぜ悪いこともしていないのに、私ばかりがこんな目にあわなければならないかと」とよく言っていました。

もうそんなに長くは生きられないと思いますが、残り少ない人生の中で、最後に「感謝」を学んであの世に帰っていただけたらと思います。

以前にも書きましたが、子供は神様からの預かりものです。

母が私をここまで育ててくれたことに感謝しています。

若いころは母との間にいろんな葛藤がありましたが、私も子供を生み母になり、真の魂のあり方を学び、本当に心から両親に感謝しています

私と娘の間にもこれからいろいろあるのでしょうが、立派な母親ではなく、常に素直で一生懸命な母親を目指しそうと思っています。

世のお母様方、お互いに頑張りましょうね!